タイ国王死去を巡る一連の出来事と日本人である私が感じたこと
こんにちはかじです。
今月10月13日にタイのプミポン・アドゥンヤデート国王がバンコク市内のシリラート病院にて死去しました。タイ国民にとってはタイ国王はまさに精神的支柱!戦後すぐに18歳で即位しその後70年近くにわたり国を支えていたのです。
この瞬間に留学生として立ち会えたことは間違いなく自分自身にとって貴重な体験です。これは備忘録も兼ねて感じたことを書かなくては...!って思いに駆られたので書き出した次第です。
まず最初に、死去した13日前後の動向をざっと書きます。
前日:10月12日 シリラート病院には多くのタイ人が
13日以前から「タイの国王の体調がすぐれない」という報道が相次いでいました。タイだけでなく日本でも報道されたらしいですね。母親からラインが来たのがそのいい証拠です。
12日にもタイ国王が入院していたシリラート病院には国王の体調を案ずる多くのタイ国民が集結していました。
当日:10月13日 タイ国王死去
午後7時ごろでした。王宮よりも西に位置しているセントラルピンクラオにて食事中ツイッターを開いたところ「タイ国王死去」を知らせるツイートが...!
この日の7時にタイの当局はタイの国王に関して重大な発表をすると予告していたのでどうやらそれらしい。
この日の夜もタイの国王が死去したシリラート病院には国王をしのぶ多くのタイ国民がいました。その病院付近まで状況を見に行った友達から動画を見せてもらったのですが、わんわんと泣くタイ人も多かったです。
次日:10月14日 タイ国王のご遺体の移送がおこなわれる
14日は金曜日なので本来なら大学で授業が行われるはずですが、僕の通うタマサート大学は休校になりました。タマサート大学は王宮の隣、シリラート病院の対岸に位置しているという地理的状況の中で、14日はシリラート病院から王宮やワットプラケオ周辺までタイ国王のご遺体を移送するといわれており、大学周辺は交通渋滞や交通規制が想定されたためです。14日自体が国王に哀悼の意を示す日とされたことも影響しているかもしれません。
朝、大学は休校になりましたが連絡が遅かったので間違って大学に行ってしまいました。どうせならといことでサナムルアーンや王宮周辺に足を運んでみました。
サナムルアーンには多くのタイ国民が集まっていました。王宮に向かって列を作る黒い影。タイ国王に対する哀悼の意を示し彼らは全員黒服を身に纏っています。
印象的だったのは黒に包まれたこの空間の中でタイ国民がさしていた日傘だけはカラフルであったことです。カラフルな日傘と黒服がもたらすコントラストには違和感しかなったですね。
そして、ご遺体の移送のほうは当初13時開始を予定していましたが、15時に延期。さらに1時間半ほど遅れ結局開始したのが16時半ほど。ご遺体はシリラート病院から僕のアパートメントの前やピンクラオ橋を通り、サナムルアーンや王宮、ワットプラケオのほうに運ばれていきました。
僕自身は当初その瞬間をこの目で見ようと思ったのですがあまりに遅いのであきらめてしまいました。シリラート病院で見ていた友達曰く、ご遺体を移送している自動車があまりにも普通の車でびっくりしたそうです。
タイ国王死去を受けて
「ついにこの時が来たか…!」というのが国王の死去のニュースを聞き最初に感じたことです。
数日前からタイ国王の体調がすぐれない報道が相次いでいたほかタイ国王の88歳という年齢を考慮すると、不謹慎でありながらそろそろ亡くなる可能性があること、私以外の人も感じていたに違いありません。
ただ僕のこのタイ国王死去という出来事をTwitterで知ったときの反応はあっけないものでした。正直にいって冷めていました。僕は日本国民でありタイ国民でありません。タイには留学で2か月間いますが、逆に言えば2日月前まで日本におりそれまではタイの文化、宗教、政治など触れる機会は皆無でした。あくまで気持ちの中では観光客と対して変わらないでしょう。
そしてタイの国王と日本の天皇を同じようなものだと思いこのニュースはさほど大したことがないもの(自分の生活に関連しないと意味で重要でないということ)だと認知した気がします。
以前タイの国王は日本の天皇は非常に近しい立場の存在であると思っていました。タイの政治は首相が権限を保持しています。タイの国王はタクシン派と反タクシン派の対立の際にその間を取り持ったとされておりますが基本的には政治権力の中枢にいる人物ではありません。日本の天皇も日本の象徴的存在であり政治には直接的に介入しません。すごく似ていると思ったのです。
日本人の天皇に対して思う感情とは
日本人が日本の天皇に対して感じる感情はどのようなものでしょうか?日本の天皇は日本人の精神的支柱となっていますか?天皇は日本国民に敬愛されていますか?
後者の天皇が日本国民に敬愛されているかということについては当てはまるかもしれません。僕は逗子出身なのですが、小さいころ天皇が逗子の隣町葉山の御用邸に来る際に母親と一緒に旗を振りにった記憶があります。いってしまえば車がただ通るだけですが。僕自身は母親に連れていかれただけで天皇に対して何かしらの感情は全くなかったですが、母親もしくはそこに他大勢の人たちには天皇に対して敬愛する気持ちがあったかもしれません。もちろんミーハー精神だけかもしれない可能性もあります。
でも前者の日本の天皇が日本国民の精神的支柱となっているというのは懐疑的です。ここで不謹慎なことを言いますが仮に天皇が亡くなったとしても、特に何の音沙汰もなく普段通りの生活を続ける気がします。
僕自身も天皇に対して特別な感情がありません。天皇はたとえ日本の象徴とされる人物であったとしても完全なる赤の他人です。〇〇皇太子が〇〇を訪問した…!や〇〇が高校に入学したなど和やかな報道しかばっかりメディアが報道するのもそのような天皇に対する感情の形成に寄与しているかもしれませんね。だってどう考えても天皇という存在は自分の生活に全く関係しないんですもの。
悪く言えば、僕にとって天皇は日本の「飾り物」です。あってもいいけど、なくてもいいという意識を持っています。
タイ国民がタイ人に感じる感情は日本人の天皇に感じるそれと全く別物
僕はタイ国民がタイ国王に感じる感情に関して、日本国民(この場合は僕だけだけど)が天皇に感じる感情と同様のものだろうと思っていました。つまりタイ国民にとってあくまでこの出来事はタイ国民の生活になんら影響を与えないものだと。
でもこの考えは完全に間違っていました。
タイ国民にとってはこの国王死去は非常に悲しい出来事でかつ時代を変えるほど影響力を持つものであったのです。
その国王死去後のミクロ影響、マクロの影響は次回に記していきたいと思います。
ではまた!